2011年度 カリキュラム@デジタルハリウッド大学院 2011年度 カリキュラム@デジタルハリウッド大学院

美的感覚錬成論5

日付
2011年11月01日 18:30~
場所
桑沢デザイン研究所
概要
漢字:甲骨文字と漢字の起源 東洋文明の基礎/表意の思考
受講生の感想

記:江幡 菜美

第40回 記:江幡菜美

金子先生の第5回の講義。テーマは「漢字」。
毎度のことながら、金子先生の授業は、終わった後に頭の中にもやもやと霧が立ち込めます・・・。(もちろんいい意味で)
美的感覚錬成論の講義はまさに知識・思考の「源泉かけ流し」!
膨大で深淵な世界があることは分かるけれど、自分自身の無知の壁が邪魔をしてそれがクリアに見えないような感覚になります。

ブログを担当するにあたり「何をピックアップし、どう考えを述べるか?」ということにとても悩みました。結果、内容と所感を以下3点にまとめましたので、ご高覧頂ければと思います。

***

白川静さんは、日本の漢文学・古代漢字学で著名な方です。立命館大学文学部教授を務められ、「甲骨金文学論集」などの論集、70歳を過ぎ「字統」「字訓」「字通」の字書三部作を刊行されました(他著書・受賞多数)。
(今回の授業冒頭で、その白川さんのDVD(「白川静と漢字-東洋の精神-」が流れました。
以下その内容の一部です。)

【1】 白川静さんのSTRAMD

■口(さい)の発見
「告」という字について。
始めは、「牛が何かを訴える時、口をすり寄せてくるその形を文字化したもの」と解釈されていた。しかし、「告」の上の部分は「牛」ではなく「木の枝」の形。その「木の枝」に「口」を付けるのはおかしい。
そこで白川静が立てた仮説は、「口」というのは「神様への願い事を書いた手紙、つまり祝詞を入れる器の形ではないか?」ということ。祝詞を入れた神聖な器を木の枝にかけ、神に願い事を訴え告げる。「告」という字は古代中国のそういった祀りの様子を文字化したものではないか?と考えた。
祀りを意味する4つの文字(告、史、使、事)の共通の字源となっている「口」という字が、実は「口耳」ではなく「祝詞を入れる器の口(さい)」である、という白川静の仮説は、文字学の世界においてかつてない重要な発見であった。
「口」を「口(くち)」ではなく「祝詞を入れる器(さい)」と解釈すると、「口(くち)」では解けなかった漢字の生い立ちの多くが、もつれた糸がほどけるように解けていった。
吉、害、捨、言、可、歌、、、、、、、、、、、。「口」を含む文字全てについて検証を行い、その多くが、「祝詞を納める器=口(さい)」を共通の字源としている事を実証した。

<所感>
この「口(さい)」の発見がまさしく創造行為、STRAMDで学んできたことに共通する部分だと感じました。
このブログを書くために白川静さんの「知の愉しみ、知の力(致知出版社)」という本を拝読したのですが、そこには口(さい)の発見だけでなく、和漢学の世界において様々な発見・説を打ち立て、(どの世界にもある)authorityに立ち向かったことも書かれています。
現状にある常識に良しとせず、疑問を持ち、情報収集・分析・探識を重ね、仮説を打ち出し、突破口を見出す。クリエイティブな行為はどの世界にも通じるものがある、ヴァルター・グロピウスの「デザインはあらゆる分野の共通項分野である」という言葉を改めて思い起こさせるお話でした。

【2】 漢字の呪術的世界観と精神史としての側面

今回も金子先生から事前課題がありました。内容は『白川静の辞書で、自分の名前の漢字の「原義」を調べてくる』というもの。
この課題はまるで占いや姓名判断をやるようなわくわくした気持ちで取り組んだのですが、白川静さんの辞書で漢字を調べていると、皆さんご自分のお名前の中に必ず一つか二つ物騒な原義が見られました。屍、呪具・呪術、首、喪の○○といったような、こちらに書くのもためらわれるほどおどろおどろしいものがちらほら・・・。
始め自分の名前を調べて「こんな暗い名前だったのか・・・」とショックをうけたのですが、受講生の皆さんのものを拝見してみるとやはり同じ様子。
身近な漢字にこんなショッキングな原義があったのかと衝撃的だったのですが、重要なのは「ただの怖い話」ではなくて、その漢字が持つ呪術的な世界観と精神性の背景を知るということ。例えば「道」という漢字。小学校の低学年で習い、道路・道具・道徳・道理、などとても親しみのある漢字ですが、DVDでは以下のようにあります。

■「道」という字
(DVD「白川静と漢字」より抜粋)
「道」という文字の変化の後を辿った「道字論」にて。
「道」というのは、「異民族の首をぶら下げて歩く」という意味の字です。見知らぬ地域に入る時は首を手にぶら下げて歩くんですね、お清めのために。その「道」が後に道術になり、道徳になり、不変の真理(道理)になり、非常に内容が深められていく。漢字一字の中に、人間の意識の発達の全過程が含まれるわけです。だから、文字の成立から、その後の意味の展開を辿っていくと、人間の精神史を築くことができる。

先の「口(さい)」にも通じる事ですが、やはり昔は(現在では想像すら難しいほど)原始的自然観や呪術的世界観が圧倒的な力を持っていたんだということを知りました。
見知らぬ地域に入ること、今ではなんでもないことのようですが、昔は首をぶら下げて歩かなければならないほどのことだった・・・。呪術や神祭事にまつわる原義の多さから、食べる、働く、話す、夜を迎える、朝日を拝む、人と関わる・・・、今ではなんでもないようなことのひとつひとつに自然や神様への畏怖を感じて切に生きていたのではないかなぁと思いました。

と同時に、DVDでは詳しく説明されていなかったのですが、「道」ひとつとってもこの情報の多さ、漢字のポテンシャルに驚きです!

【3】 デザインとしての漢字

■「漢字は概念の映像である」(『神様がくれた漢字たち』白川静/理論社)
漢字の勉強はデザインの勉強になる、ということも今回の講義で金子先生は仰っていました。いかに簡単な記号で情報を伝えるか?、また似たような造形を持った字とどう差別化するか?・・・。なるほど、言われてみればその通り。漢字の情報量の多さは、よく外国人の方が言われることですが「医学用語/病名などは英語で見てもさっぱり分からないが、漢字だとなんとなく見当がつく。」ということ。広告コピーによくある造語も、なんとなく意味が分かってしまいますよね。
身近な漢字がデザインの教科書になるなんて、考えただけでわくわくしてしまいました!

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講義を受ける度に「勉強しなければいけないことはいっぱいあるなぁ・・・。」と思わされるのですが、先生は「知識は目的ではなく、思考のための材料」ということもよく仰います。単なる物知りさんではなく、知識を自分でコントロールできるように欲識を重ねること。
確かに知識を得て、そこで思考がストップしてしまう事が多い・・・。その点、ブログを書く、ということは振り返りに素晴らしい行為だなぁと思いました。(大変ですが・・・泣)

今回は記述できなかったのですが、講義内では欧陽詢(おうようじゅん)と顔真卿(がんしんけい)という2大書家の実物も拝見させて頂きました(中西珍品コレクション)!
そういった講義の流れも、キーワードとしてFacebookページにて速報がでています。
ぜひご覧になって下さい!

長くなってしまいましたが、金子先生ありがとうございました!

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そして金子先生の流れからタイミング良く11月26日は漢字のスペシャリストである王先生の公開講座…。楽しみです。去年は王先生の公演を聞いてSTRAMD入学を決めました。こちらもとてもおすすめです!ぜひ!

《STRAMD》

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