2011年度 カリキュラム@デジタルハリウッド大学院 2011年度 カリキュラム@デジタルハリウッド大学院

期待学:EXPECTOROGY

日付
2011年07月19日 18:30~
場所
桑沢デザイン研究所
概要
先端の学:「期待」を切り口にデザインを考える
受講生の感想

記:小島 寛之

第29回 記:小島 寛之

ブログを書いている今でもまだまだ理解おぼつかない「期待学」。この「期待学」とは一体とはなんだろう?なんとも不思議な講義名だなあと少しわくわくしながら、遅刻気味でSTRAMD室に入った。すると、前回講義のユニバーサルデザインの時と同じように、既に独特のユーモアな雰囲気がそこにあった。コミカルに、面白恥ずかしく、時には自分でノリツッコミしながら、軽やかな笑いをとる中川先生と、一緒に笑う学生と、後にいる先生とスタッフの方々。「最高だ!中川先生」とひそかに思いつつ、左脳と右脳の説明が聞いた後に、どういうこと!?という言葉が出てきた。

「The right brain smile」=右脳は笑う。

次に右脳と左脳の違いの説明があった。自分なりの解釈だと、左脳は、文字や言葉を認識して、論理的、理性的な性格を持つのに対して、右脳は、五感を認識して、直感的、感覚的な性格を持つ。日常の仕事や人間関係を保つために、常に左脳を使っているが、右脳は左脳ほどあまり使っていない傾向があり、その右脳を五感体験によって刺激して活性化させれば、凝り固まった脳をリラックスさせて今まで自分が知らない新たな発想や気付きを得る。だから「右脳よ、多いに笑え!」ということか(実際に笑わったほうが右脳に効くとも言われるのも、感性を刺激することになるのでわかる気がする)両脳ともアンバランス今まで直感どころか山勘でやってきた自分には重い試練。しかし五感に訴え、五感で発することを養うデザイン教育というところは実にSTRAMD的だ。

では右脳はどうやって刺激するの?ここから怒涛の訓練のワークショップの始まり

(中川再生工場とも言われるところが、なんとも愉快極まりない!)

このワークショップは、実にユニークな内容ばかりが豊富。

例えば

●音符記号を左右手で同時に対称に書く

自分は左利きだけに自身があったつもりだが、そんな自信はあっさり崩壊。左右手の感覚のずれの一例はこういうものなんだな、と実感。

●記憶する。

7つの絵が出てきて一定時間眺めて記憶。

子ども、車、猫、船、鳥、あとは、、、、なんだっけ(汗)。

-ボートを描いてください。

-4番目に現れた形を描いてください。

-全て描いて下さい。

また天地が逆になった絵を描いてくださいなど。問いの難易度が飛躍的に上がっていくのでもう大変!その結果が下。はっきりいってよくわかりません。

しかし訓練していけば、このような短時間な観察でも、デッサン力が上達するとのこと。実際に他の方は、明らかに上達していた。これはすごい!これはコンテンポラリーに記憶を覚え出し入れする能力開発ができそう。

●音楽を聴いて、イメージを形にする。

予め配られた長い針金を、ショパン(だったか!?)の音楽を聴いて、そのイメージを形にする。下記の写真は一人一人が自分で作った作品を説明していくシーン。クラス全体が面白い雰囲気に様変わり。(ちなみに針金の伸ばし方は4分類化できるという。)

自分は立体的な蝶を考えた。その写真が下。孤立した不安(右側(中川先生側)の頭っぽいもの)が、段々と左側の羽側に移り、螺旋上に真ん中へ凝縮され安定していくイメージ。

これだけだと分かりにくいので、大月さんの作品も掲載(これは講義日の翌日に開催された期待学研究会の参加した時に撮影したもの)。

全然違う。これにはびっくり。しかしなぜこのようになるのか。実に興味深い!中川先生は、「傾向的には立体的なものと、2次元的なものに分かれる」と言っていたような。確かに皆さんの作品には、個別ではあるが、ざっくり俯瞰していくと似通ってくる形状のパターンが確かにある。これは、人は同じ音楽を聴いて、一人一人違うイメージを描くが、実は、血液型のように分類化できることを意味する。自分が気づいていない意識(≒自分が見えない心の在り様)がこのワークショップのような体験を通じて、顕在していない感性情報を引っ張り出して事前に分類・評価ができれば、今までとは違った商品開発を行うことができる。言い換えれば、今までよりもっと深い人の深層心理の本質に迫ったデザイン開発が可能となり、それは全くの新機軸に裏付けされた新しいデザイン学と商品開発の創造行為が可能と言えるのではないだろうか。しかしなんといっても感性を予測してデザインできるというのは大きい魅力だろう。不安感と期待感を意図的に計画することができれば、今までにない期待以上の感動的な商品やデザインを開発できる可能性がある。

ただ「期待学」という名前になっているがそれはなぜか?中川先生が言うには、元々人間の不安という感情は何なのか深く研究することから始まったという。そして不安は、次のような関係があると言っていた。(メモで下記取れなかった部分があるためご容赦を!)

・不安が生じれば、期待が生じる、不安のないところに期待は生まれない

・不安も期待のうち、不安は期待感を育てる。

・期待と不安が共存し、数々の過去の不安によって期待に変わっていく。

・期待があれば不安が伴い、そして大きな感動がもたらさせる。

・期待があれば不安が商事、時には失望に繋がる。

・期待の行方「期待の生まれ方を探り、期待の育ち方に注目する。期待の行方を予測する。」

不安⇔期待⇔失望の心理的な反転メカニズムを探求することで「期待」の行方を追うから「不安学」ではなく「期待学」ということか。なるほど。自分なりにすっと理解できた。そして、本当にユニークなのは、期待値を捉える評価基軸。その一例は

-期待はずれ

-期待通り

-期待以上

の3つの達成度段階で測られる。これは、どういうことか。ペンが一例に挙げられていたが、最初は見た目、「使いやすそう」と期待したものが、実際使ってみたら「期待はずれ」とがっかりし失望に。逆に「期待はずれ」だったものを、実際使ってみたらそれは「期待以上」と感動し、時には意外性(思いがけない驚きや予想外の仕掛けなどがあること)をもたらす。この評価軸の着想は、人の「不安感」と「期待感」、「ハラハラ」と「ドキドキ」のような一喜一憂さが常に交錯する、本人さえ気付かない微妙な感情変化のダイナミクスを捉えることができるため、使い手の視点から見る「期待はずれ」と「期待通り」のギャップを解消できたり、「期待以上」の感動や魅力を感じさせる商品やサービスを提供できるかもしれない。評価軸の在りようによっては、微妙であいまいなところに美的意識を持つベーシックな日本独特の感性価値に、さりげなく「あっ」と思わせる「期待以上」の価値を加味した今までにない新しい日本庭園だって創ることも可能であろう。

人が次に求めるネクストイメージ(期待)は何なのか、不安を原資に、人が期待もしていなかった独創的な発想をする、そしてこれからの未来を思い描く期待をデザインするという新しい学問領域が「期待学」。人が本来気付きにくい五感情報とそれに基づく心情の微小変化を期待値として読み取ることで、次の感性を予測するという新しい工学的アプローチの一つであるとともに、期待学自体が新しい試みであるため、世界中からあらゆる分野の方々から注目されることに間違いない。また不安があるところに「期待学」は存在するところから、今後は商品やサービスに留まらず、生活や社会問題を解決する強力なデザイン実学と成りえるだろう。

(2011.8.4 記)

《STRAMD》

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