2011年度 カリキュラム@デジタルハリウッド大学院 2011年度 カリキュラム@デジタルハリウッド大学院

ファッションと社会

日付
2011年06月02日 18:30~
場所
桑沢デザイン研究所
概要
ファッション:社会と現実を写す鏡
受講生の感想

記:水野 可奈子

STRAMDで受講できる講義はどれも魅力的で、1つでも
取りこぼすのが勿体無いほど、充実したカリキュラムが組まれている。
中でも、仕事よりも個人的な興味関心という意味で、私が最も楽しみにしていたのが、
この横森先生の講義だ。

80年代、DCブランド全盛の時代に青春を過ごした私にとって、
まさにあの頃が自分の趣味趣向を形成するベースとなった時代であり、
その頃横森美奈子というデザイナーは、理想の大人の女性、かっこいい憧れの存在に
他ならなかった。その証拠に、着道楽だった親におねだりして買ってもらった
BIGIのスエードのコートや、ハーフムーンのベルベットのコートは、高校生の私の宝物だった。

講義の日、運悪く打ち合わが長引き、数十分遅れて教室に入った私は、期待と遅刻の両方で
高鳴る胸を抑えつつ、一番前のど真ん中に席を置いた。

既に始まっていた講義は、ファッションがいかに社会と密接に関わりながら進化を遂げて来たか、
というストーリーの序盤だった。

シャネルスーツは軍服のディテールを用い、トレンチコートは塹壕用コートから発祥したもの、
女性のファッションは劇的に変化を遂げて来たが、男性のそれはさほど変化していないことなど、
日常的に身につけている洋服に纏わる歴史は、明日着る日常着にも新鮮な視点を加えてくれそうな、
ファッションが常に人々と密接に関わっているからこその、面白さを教えてくれた。
中でも、イギリス、イタリア、日本など、そもそもファッション業界では外野的存在だったフランス以外の
国々が、マリークワント、アルマーニ、イッセイ、ギャルソン、ヨウジなどの代表的なデザイナーの
台頭によってメインストリームに躍り出た話は、興味深く聞き入った。こういう話を聞けば聞くほど、
絵画や彫刻と異なり、洋服は誰もが袖を通せるもので、人間が着てはじめて完成される造形である点が
おもしろいな~と思ってしまうのだ。素人の私が言うのも口憚るが、まさにそこがファッション、
洋服の醍醐味ではなかろうか。

そんな歴史的背景や流れのお話の中で、随所に小気味良い'横森節'が入り、私のテンションも嬉しさと
共にどんどん上がっていった。

・女性が言う「カワイイ~」の感覚
カワイイ=cuteやprettyだけではない。good!という意味が込められている。そしてそう感じたら、
価格やスペックは二の次になる。
本当にその通り!カワイイ~にはnice!やlove!やcool!も込められているし、この感覚を理解できないと
女性市場を理解することはできないですよ!と先週クライアントの男性に言ってしまった、、。
横森先生の言葉を聞いて心底スカッとした。

・IT業界の人々の残念なファッション
激しくうなづける。そんなIT業界の人間の1人として、スイマセンお許しください、、。いっぱいいます、
どこでもTシャツとかサンダル履きで顔出しちゃう輩、、。ファッションとは相手に対するマナーでもあるし、
おもてなしでもあり、同時に自己表現だと私は思う。つまりコミュニケーションの道具でもあるのでは
ないだろうか。一応、いかにもIT業界人に見られたくない、と個人的には思っている・・・。
何より、キタナイのはセンス以前にNGである。

・ケイトモスの魅力
1人の受講生がケイトモスの不可思議な魅力について先生に質問した。
男性でその魅力に気がつく事に感心しておられた先生。
確かに、周囲でも女性ファンの方が多いかもしれない。何を隠そう私もファンの1人で、写真集も何冊か
持っている。彼女の魅力は、その未完成さ、ではないだろうか。メイクや角度や表情によって雰囲気が
ガラリと変わる。でもそのどれもが、どこか完成一歩手前のような、絶妙な曖昧さを漂わせている。
だから、見る者は自分の脳内でそれぞれに、自ずと完成させる作業を無意識にしてしまう。
その人それぞれのイマジネーションとなる'余白'が、彼女の見えないもう一つの姿であり、
魅力なんだと思う。

・ファッションとは何か
一連の話の流れの中で、ファッションの本質を探るトピックがあったように思う。
先生のお話を私なりに咀嚼すると、ファッションとは人間の飽きるという性質がある限り、
いつまでも存在していく。そしてファッションと消費は切っても切り離せない関係である。

個人的に、近頃ずっとファッションと消費、ファッションとサスティナブルみたいな事について考えている。
先生が仰っていた、「お金を出して買う」という行為の重要性について、目が覚めたような気づきがあった。
買うという行為にどこか罪悪感さえ抱くショップホリックな私だが、実は買うという行為は、
社会参加という意味で重要な、アイデンティティを保つ行為なのではないだろうか。
恵んでもらうのではなく、自分のお金を払って物を手に入れる。自活する事の意味を教えてくれる行為だと
学ぶことができた。

トレンドは流れ続け、昨日買ったお気に入りのジャケットは
来年には魅力を感じなくなっているかもしれない。
だけど私の洋服好きはトレンドを超越した領域に至っているから、着られないのにコレクション的に
所有するヴィンテージのワンピースやバッグは、その柄やディテールがアドレナリンを噴出させ、
色んなコーディネートを閃かせ、ワクワクさせてくれる。
そして母から譲り受けたピアスやバッグは、それを着ていた頃の大好きな母の姿と重なり、
お金には代えられない大切な宝物だ。そうなった時、ただのバッグや服はファッションを超えて、
もっと違う何かに昇華しているんじゃないかと感じる。思い出の品なんていう陳腐な表現とは違う何かに。

講義の夜帰宅して、我慢できずにクローゼットから、ハーフムーンのベルベットのコートを引っ張り出した。
大好きで大好きで何十回も着たから、ボタンが取れそうになってるけど、裾も袖口もどこもほつれていないし、
擦れてもいない。見る物全てが自分に刺激を与えてくれた、十代の終わりの日々が、今の自分の感性の土台に
なっていることに改めて気づかされる、そんな愛する一着だ。

その日お会いした横森美奈子先生は、きっと私にはまだわからない、色んな経験をされてきたのだろうなと
感じさせる、快活なエネルギーに満ちていた。あの頃から少しは私も、人生経験を積んで大人になった
つもりだったけど、またさらに先を行かれているのだなーと、気持ち良い感覚が残った。

やっぱり横森美奈子はいつまでもカッコイイ、いつまでも追いつけない、憧れの大人なのだ。

(2011.6.13 記)

《STRAMD》

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