2011年度 カリキュラム@デジタルハリウッド大学院 2011年度 カリキュラム@デジタルハリウッド大学院

日本文化とデザイン論3

日付
2011年12月06日 18:30~
場所
桑沢デザイン研究所
概要
21世紀のデザインのあり方
受講生の感想

記:江幡 菜美

第47回 記:江幡菜美

「日本文化とデザイン論」第3回の講義。
内田先生の講義は全ての回を通して何故か胸にぐっとくる、涙をこらえるような感覚に陥る授業でした。
それはなぜか・・・、理由を思うと、やはり先生が「人の幸せ」を一番に、こころから真摯に考えられているのだなぁというのがお話とお人柄で伝わってくるからだと感じました。そしてその「幸せ」の形が満ち満ち溢れた絶対的なものではなく、穏やかだけれどどこか儚げな、そこに当たり前のようにあるはずだけれど見落としてしまいがちな「普通の幸せ」にあるからこそ、心に迫るものがあったのかもしれません。

講義においても「弱さ」が一貫して重要なワード、というよりお話そのものでした。「弱さ」とはつまり繊細で壊れやすいもの、小さくて細やかなもの、柔らかくて不定形なもの、非合理的で曖昧なもの・・・、それらは近代の合理的で強い世界からは排除されてきたものです。一方から見れば、私はそういった近代の合理主義=「弱さを克服して強い世界へ向かっていく(いきたい)」という気持ちも共感できます。誰しも曖昧で判らないものは恐ろしい、それにきちんと線を引いて、画一的に世界を把握することができればどんなに安心するだろうと思います。しかし実際の自然や人間は決して確定的なものではなく、移りやすく気まぐれなもので何一つとして常なるものなどない。そうした「弱さ」にこそ幸福の根底があると考える。「弱さ」とは否定的なものを指すのではなく、「人間の心を対象としたもの」である、ということが内田先生のお話でした。

最近になって「説明過剰な現代は、どこか人の心や五感さえも合理的に判ることができるような気がする、曖昧で複雑なものをそぎ落とし感情すら簡略化する、そういった危うさを抱えているんじゃないか」と感じる所があった私にとって、20世紀の合理主義社会が排除しようとしてしまった「弱さ」が「人の心を対象とする」という内容は、とても腹おちするところでした。

「弱さ」とはまさしくネガティブなものそのものを表すように思えますが、内田先生のお話を聴講しているとそれとはまったく逆の印象を受けます。それが私が日本人だからすんなり受け入れることができたのか、STRAMDには外国の方はいないので、西洋の文化視点から見るとどのように感じられるのかも聞いてみたいと思いました。

心に残っているのは「夕日のようなデザインをしたい」というお言葉です。
先生ご自身本当にチャーミングで、心あたたまる講義でした。
内田先生、全3回のお話本当にありがとうございました!

***

以下要約

・弱さとは何か:「弱さ」とは「強さ」の欠如ではない。「弱さ」というそれ自体の特徴をもった劇的でピアニシモな現象なのである。(松岡正剛さんのお言葉より)
・今日社会の危機的状況:20世紀の強い社会
・強さとはなにか:近代合理主義の構造原理と資本主義
・今日的デザインは急激に「弱さ」を対象としたものに向かっている
・「弱さ」とは感覚世界がつくりだす感情と深く関わる:自然がつくり出す驚きに満ちた世界や香りで蘇る記憶、詩や歌のはるかな世界、トワイライトの時間に宿る境界・・・
・弱さという感覚世界に関わる状況・状態:自然性、可変性、瞬間性、境界性・・・
・日本の文化観
・江戸中期に描かれた「幸せとは何か」をいう絵:親子三人のおだやかな風景
・授業内スライドによる具体例の紹介(内田先生をはじめ他多数の作家作品)
・日本文化に可能性はあるか

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記:杉 幸江

穏やかにお話をされる内田先生のひとこと、ひとことに感じる強いメッセージ。
ひとつひとつを細やかに、深く見つめられ、丁寧に“今”と併せて表現をされる先生の芯の部分に触れさせていただけたようで、毎回の講義が感動の連続でした。

日本に生まれ、日本で生きることを大切にしようと 心から思うことができました。

2011年というこの年に、お話をお聴きすることができたのも貴重なご縁と感じます。

戦後からの歴史を、今一度見直してみる時にある日本の産業界で仕事をしながら、小さなひとつでも何かできればと思います。そのためのたくさんのヒントをいただきました。

変化こそ永遠・・・このことばが最も印象的であり、これからも大切にさせていただきたいと思います。

《STRAMD》

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